若い頃から気性が激しいというのは自分でも自覚がありました。気に食わない人とは真っ向から攻撃的によく口論をしたものでした。ただ、妊娠そして出産後の主人との関係を壊すほどの、感情の波は、今自分で思い返してみても完全に異常なものでした。
私自身の場合の境界性人格障害の症状が、生活や自分以外の他者を含めて、制御不能状態になったきっかけは、あきらかに子供が産まれてからでした。初めての子育てで、心身ともに疲れ切っていたのが大きな要因も1つでしょう。もしくは推測の域ですが、小さな赤ん坊である我が子をそばに、私自身の潜在意識下で子供時代の思い出せない(もしくは思い出したくない)経験が整理しきれず、膿となって感情の波を起こしたのかもしれません。もしくは産後のホルモン変化というものが影響したのかもしれません。きっと全てが絡み合って、私の心の闇が外に出てきたのでしょう。
大好きな人と結婚したものの、なかなか子供が欲しいという気持ちにエンジンが掛からなかった10年弱は、大いに私の子供時代の経験が影響を与えていたのは自分でもよくわかっていました。ただ、やっと心の底から「赤ちゃんが欲しい」という気持ちに応えてくれるかのように美しい我が子が産まれてきてくれたのに、自分の状況が嵐で荒れ狂う海のようであるのが、自己嫌悪に陥り、更に自分の心に追い討ちをかける毎日でした。
育児で自分のやりたいことを犠牲にして、自分のことは後回しでいる私の側で、主人は変わらず自分のすきなスポーツチームの番組を欠かさず見たり、インターネットをしたりしているのが腹が煮え繰り返るほど怒りを感じました。最初は大声を上げて文句を言っていたのが、お互い手を出すようになりました。
二人で旅行に行った思い出の写真は全てハサミで切り刻みました。結婚式の写真すら破り捨ててしまっています。このブログを書いている今、自分で切り刻んでしまった事に後悔の念はないというと嘘になりますが、私自身の境界性人格障害が改善した証とも言えるのが、「その時そうしないともっと狂っていたかもしれない」と考えられる自分がいます。
私自身が怒りの波の飲まれた行動の1例として、ある晩、眠っている主人を殴るために彼が寝ている部屋に向かい必死で殴ったのも覚えています。
口論や殴る、壁に押し付けると言った争いが増えていったある時、主人が「お前は病気だ、病気に違いない!」と言い放ちました。
激しい口論や争いの後は、いつも後悔の嵐がこれまた激しく私を襲ってきていました。ただ、この「お前は病気だ」と言われたその晩、Googleで検索してみました。おそらく「怒り とまらない 病気」と言った言葉だったと思います。そこから、「境界性人格障害」という言葉に辿り着き、自分の症状が非常に当てはまると思いました。
翌日でしたでしょうか。主人に伝えました。「あなたのいう通り、私はどうやら病気のようだ。境界性人格障害という病気の症状に当てはまる」と伝えた時、ある意味ほっとしたことを覚えています。なぜなら、「私自身が原因で自分が悪いわけではないんだ」と思えたことと、「病気であれば治せるかもしれない」と希望を持てたからです。
実を言うと、境界性人格障害という言葉を知るまでも、本屋で「怒り」に関する本を片っ端から20冊近く買った日もありました。ただその内の1冊を読むと、「もう怒らない、と誓うのです」と書いてありました。それは私のような境界性人格障害者には、酷でした。なぜなら、また怒りが抑えられなくなり、そうなるとより以前にもまして自分を責めて後から来る虚無感、希死念慮が大きくなって返ってくるからです。
しかし、「境界性人格障害(Boarderline Personality Disorder : BPD)」という言葉を知ってからが、症状改善への道につながったのは確かでした。