限られた子供時代の記憶

Pocket
LINEで送る

私には基本的に子ども時代の記憶がありません。全くないわけではないですが、大きくは、両親の喧嘩、私自身の自家中毒による嘔吐を繰り返していたこと、母による虐待の思い出で占められています。 

母の虐待がいつから始まっていたのかは定かではありませんが、幼稚園に通っていた冬に、コタツのところでハサミを持ってじぶんの髪の毛を切っていたのを覚えています。子供って、ハサミが使えるようになると楽しいんですよね。ただ、母はそんな私を見つけるや否や、数メーター離れたところからも走って私に近づき、怒ってきたのを覚えています。そのとき殴られたのか、振り回されたのかは覚えていませんが、次の記憶は冬だというのに真っ裸にされて、外に出されて家中の鍵をかけられて、家の中に入れてくれと謝っていた自分を覚えています。 

私の子供が保育所に通っていた頃、クラスメートの女の子の前髪がずいぶん短くなっていたので、そのママ友に「随分切ったね〜」というと、「気がついたら自分で切っちゃってたのよ」と笑いながら答えました。そんな彼女をみて、あの時の私の母はなぜあそこまで私を罰する必要があったのだろうかと、大人になって尚も当時受けた傷がフラッシュバックのように、また悲しくなり再び傷ついた気持ちになりました。その気持ちは、今このブログを書いていても、そしていつ思い出したとしても、現在進行形で悲しみを感じることでしょう。ただ、今は、普通なら少し怒る程度で済むものをあのような折檻をしてしまう彼女は、私自身の境界性人格障害の症状度合いをはるかに超えた重症者であるのだなと思えます。 

このように私の記憶は、断片的で、悪い思い出だけがくっきりと浮き上がってきます。その前後を思い出そうとすると、覚えている以上の酷い出来事を思い出すのが怖い自分がいるのです。 

そんな時、そうしないと生きて来れなかったのだなと自分の中の子供の自分にそっと寄り添います。 

母は壊れた人でした。私はそんな彼女のところに生まれてきてしまった、母もまた傷ついた子供時代を送り、壊れながら生きてきた。母は悪くないのはわかっています。ただ、自分の中で毎日のように自分にだけ聞こえるように言うのです。「私はお母さんが嫌い」と言うことを。 

母に傷つけられ、それでも赦しを求めていたのが、成長とともに怒りが大きくなり、今は母を赦せなくなった自分がいます。 

本当の意味での自分を受け入れて、母ではなく、まずは自分自身を赦すことが必要なのかもしれません。