先のページで述べたマインドフルな状態でいるために「すること」の3つのスキルがあります。
- 観察する
- 言葉にする
- 体験する
これら3つを順に行なっていくのですが、これを行うにあたり3つの気をつけることがあります。それをも意識しておかないと、上記「3つのすること」を非常に難しくします。
その3つの気を付けることとは;
- 価値判断せずに
- 1度に1つずつ
- 効果的に
の上記3つを意識しながら、3つのすることを順に「観察して」、その観察したものを「言葉にして」、舐めるように味わって「体験する」ことがマインドフルネススキルとなります。
1つ目の気を付けることである、「価値判断しない」というのは、境界性人格障害を抱える私には非常に難しいことです。なぜなら、白黒判断という「良いこと」と「悪いこと」の判断を物心ついた時から世界を見ているからです。
私の場合は自分分析の推測になりますが、喧嘩の絶えない両親の不和であったり、母親が私自身よりも重度の境界性人格障害であるため、彼女の気分のムラによる虐待がいつ始まるかいつもビクビクして過ごしていた子供時代を送る中、混乱の中で指針となるものを自ら欲していたのだと思います。それがいつも、「何が正しくてそうではないか」の判断を頭の中でしていた記憶があります。
そのこびりついた「思考の癖」があるため、「価値判断をしない」である1つのことをただ眺めるというのは至難の技です。
そのため、この価値判断をしないのところに、もう少し詳細に自分の場合に当てはめて解釈する必要がありました。それは、「いい悪いの価値判断をしてしまう自分に気づいたとしても、それは悪いことではない」という考えです。
この考えをいれることで、ありのままの自分を一旦受け入れるということができてくるようになります。
そして1度に1個のみに集中するために、何かに気づきそれを価値判断している自分に気づいたとしても、またその集中の対象に意識を戻すようにします。
マインドフルネスを知ってから6年が経過した今でも、この寄せては返す波のように、これをひたすらくりかえすことが殆どです。
以前はそんな自分もダメだと思うことが多かったのですが、最近では、この価値判断をしてしまっている自分に気づくだけでも、感情の渦がとまるために自己嫌悪に陥ることが随分減りました。
3番目の「効果的に」というところが、これを初めて聞いたときには、マインドフルネスをすることで効果的に生かせて、随分と立派な自分にならないといけないような、これまた自分自身を追い込むような思考をもっていました。
今は、自分を責めずにそのままを受け入れることが効果的にマインドフルでいられているのだと理解できます。
マインドフルネスの練習としてアメリカでは、レーズンがよく使われるようです。たしかに、小粒ながらに、ダークな色とシワの出方がどれも同じでないところが、観察のしがいがある対象物です。
私は塗り絵を、色鉛筆で筆圧を変えることを意識して行なったりします。そういえば、グループワークでそのことを話して試してみようと思われた方は、実際やってみると子供時代のお母様との嫌な記憶がよみがえってマインドフルになるのは難しかったとおっしゃっていました。
自分ができるものが何かそれぞれ見つけられるとよいなと思います。
一番よくやるマインドフルネスの練習は、やはりお腹を意識した呼吸です。息を吸いながら空気がお腹に入って膨らむのを感じ、息を吐くときにお腹がへこむのを集中して意識します。
この呼吸に意識を向けたマインドフルネスを行うことで、日常仕事をしている最中にハッと自分の呼吸がいかに浅いかと比較をする時があります。数年前それが原因の1つと思われる「胸郭出口症候群」に罹ったことがあります。胸にいっぱい息を入れないで、じーっと息を浅くして集中することが多いです、仕事中は。人は興奮すると息が荒くなる印象がありますが、私の場合は、ストレスがかかるとまるで息を潜めるかのように非常に浅い呼吸に切り替わります。きっとサバイバルスキルですね。
マインドフルネスとは、自分自身のことや、自分がしたことや自分に起きたことについて、良し悪しの判断をせずに、今この瞬間瞬間においての、自分の思考、感情、身体的反応、行動をあるがままに気づいて受け入れる状態です。
私の脳みそは実に勝手に、いろいろな情報や記憶、思考をひっぱりだしてきて、良い悪いの判断を瞬時に行います。それを眺めることで、私自身が実は考えていることや、真実はそうではないのではないか、といった多角的に考える余裕のある日が随分と増えました。
もちろん今でも、落ち込んで気分が塞がる日が数日続く時もあります。
でもマインドフルにそんな自分自身を労って、責めないでいけたらなと思います。